無職からの脱出!

無職と一言で言ってみても、一言では表せない・・・
無職とはどういう状態なのか・・・

「無職=仕事をしていない事」
と言いきってしまってはいけない気がする。

・仕事なんて、したくない。遊んで暮らしたい。
・仕事がしたくても、病気が理由で仕事に就けない。
・バリバリ仕事をしていたのに、会社が倒産してしまった。
・仕事をしたくても、仕事がなかなか見つからない。
・自分で事業をしたくて、準備している状態である。
・これからの人生を真剣に考えている途中である。   等々・・・

人それぞれ様々な状況・状態であると言えるだろう。
そして、1人1人、様々な想いがあるであろう。

「仕事をする=自分自身で生活する為のお金を稼ぐ事」
これは基本であるけれど、
仕事をする中では、
喜びや悲しさ、辛い事・苦しい事  様々な思いを経験しながら
いろいろな事を学び・乗り越え・日々、努力をしていく事で賃金を得る。

無職である状況を自分自身でどう捉えるか・・・
それによっても状況は変わるのであろう。
「仕事なんて、キツイこと、したくなんてないさ」
「楽に暮らして生きたい」 など考えている人は
今のこの無職の状況を人生の休憩点・分岐点と考え、
この時間を自分と向き合う時間に使って欲しい。

仕事とは生きて行く為のもの。
仕事で得た賃金、仕事をする中で得た経験が
自分の人生に置いての様々な面での財産になるであろう。

そろそろ、休憩は終わりにして、
自分の力で財産を築く為に、
無職脱出を考えてみてはいかがでしょうか・・・

無職からの脱出方法・・・これを本気で考えるなら、無職の状態から脱出するための方法
について、真剣に吟味していくことだろう。
いくら本気で、無職から脱出したい、と考えていても、脱出する方法がなければ、いつまで
も、無職のままだ。

無職の状態を心地よい、受け止めていられる間は、無職からの脱出方法についてなど、
真剣に考える必要もないだろうけれど、人間、いつまでも、無職でいることを心地よく感じて
いることも出来ないだろう。

と、すれば、無職から脱出する方法を、真剣に考えなくてはならない。例えば自分は、
いま、記憶術など、記憶の方法に関する資料を集め、勉強をしている。この、現在の
下ごしらえを、将来、自分が無職になってしまったときに、無職からの脱出方法として、
使おうと考えている、というわけだ。

無職から脱出する方法として、どこかへ勤めるか、それとも、起業するか、ということになる
わけだが、この、記憶術、といったような技術を使って無職から脱出する、ということになると、
どこかへ勤める、というよりは、自分で起業することによって、無職から脱出する、というよう
な流れになっていくのではないかな、というふうに考えている。

いずれにしても、徒手空拳のまま、無職から脱出する、ということは、なにしろ、困難である
ように思えてならない。記憶術でも、なんでも・・・技術を身につける、資格を取得する、
などの準備があればこそ、無職からの脱出は、スムースに運ぶような気がする。

ココまで思う事を書いてきて、ふと思った事がある。
それは「そもそも無職とはどういう状態か?」という至極根本的な問題である。

世間一般的には「無職=定職を持たない」であるとか、「無職=会社勤めをしていない」
であるとか、「無職=仕事をしていない」であるとか、様々あると思うが、要するに
それらに共通しているのは「お金を稼いでいない」ということが言えるだろう。

しかし、そこの根本にあるのは「労働」の対価として「給料」という報酬をもらってる
ということになる。

無職を脱出するに当たり、ココまで来ると人に雇われて、ひとにアゴを預けるような道を
選びたくはない。

自分の魂の叫びに耳を傾け、自分がやりたい事は何かを明確にし、それに沿った仕事を
するという方向で無職を脱したいと思うのだ。

こういう事を言うと「世の中そんな甘いモノではない」とか「いつまでも夢を見てるんじゃない」
というようなありがたい忠告をわざわざ頂く事があるが、オレが思うに、逆なんじゃないか?
と思うのだ。

今の世の中の不景気であるとか閉塞感は、ほとんどの人がやっている「仕事」というものが
「お金を稼ぐために仕方なくやっているモノ」だからなのではないのか?

もし、仕事が楽しくて楽しくて仕方ないのであれば、休み何ぞ要らないはずだ。
趣味と実益を兼ねている人は絶対幸せなはずだし、好きな事を仕事をしている人が
辛いわけはないのだ。

辛いのはお金の為に選り好みしないで、なんでもかんでも仕事を請けてしまうから
嫌気がさす場合があるという事だけに違いないと思う。

もしくは、世間一般の「仕事=辛い事」という根底にある考え方に合わせてるだけだ。
また、マスコミというのは他人の不幸で飯を食ってるのが今の一般的なマスコミだから
仕事が楽しくて仕方ないという人間の話はは金にならんから表に出てこないだけとオレは思う。

脱出したのちの事も一応考えておかねばならない。
しかし、あまりに緻密に一本道だけ考えてしまっては、想定外の事が発生して
その道から外れてしまった場合に泡を食う。
だから、ある程度の枝分かれを想定した形で脱出後の道を考える必要がある。

無職という状態は定職が無いということで、定職と言うと大体が会社に属している
事を日本では意味することが多い。

ということは、屁理屈かもしれないが、会社を経営している社長は無職と言えなくも
ないが、社長の場合は経営者という形で立派に無職を脱出しているわけだから
社長は無職だというのは、言い過ぎである。
無職を脱出することだけ、つまり目先の事だけに囚われてしまうと、その先の事は
考えられなくなってしまうので、脱出後どうするか、ある程度の道筋は考えておいた
方が良いと思われる。

とは言っても、思わぬ申し出があったり、チャンスが転がっていたりする場合もある。
そういう場合、オレは迷わずそれらの申し出やチャンスを拾おうと決めている。

その先、自分が思い描いていた絵とは違うものが描き出されるかもしれないからだ。
そっちの方がワクワクするし、無職から脱出後、自分が思い描いている通りに事が
進んだとしても、自分の想定の範囲内というのは、少々つまらない。

想像できる範囲内というのはたかが知れてるし、想像できることというのは、自分
が今まで培ってきた知識や見聞の範囲から出ることはないからである。

ただ、自分がやりたいことをやり続けるのであれば、同志との出会いがあり
その同志が思い描く絵と重なり合い、もっと面白くなるとおもうのである。

無職から脱出した後に本当の始まりが待っているのである。
日本人の場合、結婚にしても、受験にしても、その関門をクリアしたら
「ゴールイン」という表現をするが、どちらにしても、結婚してから本当の意味で
今までとちがう二人の生活が「スタート」するわけだし、大学受験に合格したら
合格してから大学生活が「スタート」するのである。

大学入ってから何を勉強したいのか?を自分の中でハッキリとさせて、大学を
選んでいる高校生なんかほとんどいないんじゃないか?

先生も生徒が将来何やるか何ってのは二の次で、わが校から現役で有名大学に
入学した生徒の実績だけを欲しがってる節がある。

人を教育する期間がそれじゃぁ、日本の行く末は推して測ることができよう。
俺たちに明日はないという気分になる。

また、違う方向へ話が進みそうになったので、引き戻すが、要するにオレに取っても
無職から脱出してからが本当のスタートであるということだ。

あるサービスを提供してお金を稼ごうと思っているが、そのサービスを買ってくれる
お客様を集めなければならない。

そう、「集客」が無職から脱出した後の大きなテーマなのである。

無職から脱出しました。サービスも売りだしました。でも一つも売れませんじゃ
脱出した意味がないのである。

だから、その点も見越して準備をしておかなければ、行く先にブレが生じてしまう。
でも、あまりに道をキッチリ作ることをしすぎると、もし想定外の出来事が生じた
場合に迷いが生じるので、そこは、方向性だけを決めておくのが良いと思ってる。

無職を自らの意思で選んだのは、いつまでも無職でいる気はないからで
ただ、自分が望むような仕事をしてる暇がないから、無職を選んだというだけの
話で、いずれは無職から脱出するつもりで、この2年間を過ごしてきた。

当初思い描いていた脱出の形とは少しばかり違うけど、脱出する方向性にブレはない。
自分がやりたいことはオレの場合、今振り返れば既に高校生の時に決まっていた。
ただ、その時にオレに足りなかったのは自信だった。
それも根拠のない自信である。オレだったら出来るというゆるぎない自己に対する
根拠のない自信がもっと強く持てたら、今こうやって無職になって、無職から脱出
するのだ!など、世間の片隅で吼えるようなことはしていないと思う。

あと自分に足りなかったのは勇気だ。
物事に立ち向かう勇気。
これが圧倒的に足りなかったのである。

オレにとっては究極の反面教師だったオヤジに対しても、ガキの頃のオレは向かって
行く勇気が無く、ただただ逃げ惑っていたのである。

そういう息子の姿を見れば、短気だったオヤジがカリカリするのは理解できなくもない。
ただ思うに、大人なんだから、大人な大きな対応をしてくれればよかったんだと思うが
あのオヤジにそれを求めても無駄だったなと今更ながらに思ったりもする。
なんせ、わがまま暴君だったからな。自分の事しか考えないしな。

まぁ、それはそれとして、自分の意思で無職を選び、自分の意思で無職を脱出する
その気構えができているのであれば、大丈夫だ。

脱出できないのではなくて、脱出する気がもとからないのだろう?ということを
前回書いたが、無職を脱出することに限らず、何でもかんでも「できない」
という人は大体において「できない」のではなく、できないという理由を挙げ連ねて
自分を正当化して単に「やらない」だけなのである。
もっともらしい理由をつけて「親がやるなというからできない」とか「不景気
だから儲からない」とか「腰が痛いからできない」とか、誰もがこれなら納得する
だろうという言い訳を挙げ連ねて「やらない」のである。
そりゃまぁ、病気やケガで、無理しては命にかかわるようであれば、できないと
言う事も許されるかもしれない。
でも、死ぬ気でやるのであれば、命をかけてやり抜く覚悟があれば「できない」とは
言わないと思う。

無職からの脱出にしても同じことが言えると思う。
要するに、本人の気持ち一つなのである。
やる気になるかならないかなのである。

「できない」んじゃなくて「やる気が無い」のである。
「やる気にならない」とも言える。

オヤジが生前言っていた
「馬を水辺につれていくことはできるが、馬が水を飲むかどうかは馬次第だ」

このセリフはオレが勉強しないことについて、オフクロがオレに何か言ってくれ
とオヤジにお願いした時に、オヤジが吐いたセリフだ。
これは事あるごとに言っていたからオレも覚えてしまうが、親の場合、これを
言ってしまったらおしまいだ。

確かにその通りだが、子供に勉強させたいと思うのであれば、やる気になるような
エサでもなんでもいいから、大人目線ではなく、子供の気持ちになって、子供に
やる気を起こさせる必要がある。

無職から脱出する方法はいろいろあると思う。
一番手っ取り早そうなのは、何でもいいからアルバイトを決めて脱出する。
つまりフリーターになって無職を脱出するのだ。
今の日本、不景気と言いつつ、選ばなければ、どこかしらで働き手を求めているもんだ。
突き詰めてみると、本当に不景気なのかよ?と思えるほど、意外にバイト先は見つかる。

ただ、時給が安かったり、これ一本だと生活がギリギリというレベルの求人であるから
皆やりたがらないというだけの話であって、求人側の条件を無条件でのむのであれば
簡単に無職から脱出できるのだ。

そう、みな実は高望みしすぎて脱出できていないだけ。
もしくは脱出しようという気持ちが頭から無いだけ。
脱出しようという、気持ちは一番大事なエネルギーの源だから、その脱出するぞという
気持ちが無ければ、脱出しようとしても脱出なんかできるわけがないのである。

家からなるべく近いところが良いのであれば、自分の家の周りで探すのだ。
脱出できそうな仕事が必ず見つかるはずだ。

だから、無職から脱出しようと思えば脱出なんか簡単に出来るのである。
みな脱出できないでいるのは、なんだかんだと言い訳して、理由をこじつけて

脱出しようとしていないのである。
脱出できないのではなくて、脱出しないのである。

やる気のない人間にやる気を起こさせるというのはとても難しい。
オヤジが良く言ってたことで、
「馬を水辺につれていくことはできるが、馬が水を飲むかどうかは馬次第だ」
いちいち言う事がむかつくオヤジだったが、これはその通りだと思う。

さて、自分が望まずして無職になってしまった不幸な人に言いたいことは、哀れな自分の
境遇をいつまでも憐れんでいては、いつまでたっても無職のままだし、そのような自分の
境遇から脱出することはできないということ。

そのような境遇から一刻も早く脱出したいのであれば、まずその考え方を改める必要がある。
その考え方というのは、「原因は自分以外にある」という考え方である。

さすがに会社が潰れた原因まで自分にあると言われたら心外だと思うし、オレだってもし
そういう会社にいて、会社が潰れたのはオレのせいだと言われれば、直接的に会社を潰す
ような事件を起こしたとか、会社をつぶす直接的原因に関わっていなければ、「ふざけん
な!オレのせいじゃねー」と言うだろう。

ここで言いたいのはそう言う事ではない。
「潰れるような会社を選んだのは自分だろ?」という事である。

その会社に望まれて入ったとしよう。「どうしても来てくれ、君の力がどうしても必要なんだ」
まぁ、こう言われてしまえば、よっぽどのことが無い限り、その期待に応えたいと思って
入社を決めることもあるだろう。
でも、こんなことを言われて会社に入る人間なんて、一人いるかいないかで、オレもこれを
読んでるあなたも含めて、そうやって会社に入社した幸せモノはおそらくいない。

だれもが会社を決めるときは、自分で選んで、自分の意思で入っているはずだ。
だから会社が潰れて無職になったのは、はからずも、そんな会社を選んだ自分の責任というわけ。

無職から脱出する方法はいくらでもある。
今の日本で、無職から脱出することはそんなに難しいことではない。
でも、ひきこもりとかニートの人間にとって、外出するという行為自体がものすごく
ハードルの高い行為らしいから、まずここを克服する必要があるだろう。
家族とさえ顔を合わすことができないというのは完全に病気だから、しかるべき治療を
受けたほうが絶対良いと思うのだが。

笑い話じゃないけど、外出ができない人間に向かって、「では治療院に来てください」と
行ってしまう医者がいたら、そいつは医者失格だ。
患者の気持ちが少しもわかっていない。
それができないからニートであり、ひきこもりなのだ。バカかと言いたい。
で、無職から脱出するのに必要なことは、まず、なぜ無職になったかの原因をしっかり
自分で把握しており、能動的に無職になったのか、受動的に無職になったのかの事実と
しっかり向き合う事ができないとならない。

オレのように目的がある場合は簡単だ。無職は自ら進んで選んだ道だからだ。
これは能動的に無職になった例だ。

逆に、会社からクビを宣告された、会社が倒産した、病気やケガをしてしまって会社を
辞めざるを得なくなったなど、受動的に無職になった場合、中々その事実に目を向けると
いうのはツライことである。

だから、その原因について中々向き合う事が出来ない。
そして、原因を自分ではなく、会社や社会や景気のせいにする。
自分以外に無職になった責任を押し付けようとするのだ。